solo exhibition @ 空とたね(香川)----- 2019.11.23 - 12.01
散歩記


久しぶりにカメラを持って散歩に出た。

春の温かい陽射しと

冬の名残を抱えた冷たい風が

融け合わずに同居している。

幅も深さも頼りなく流れる川の脇を歩くと

生命力を爆発させた菜の花が風に揺れている。


いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

かすかなるむぎぶえ


山村暮鳥の詩を思い出しながら麦笛の音を探したけれど

聴こえてきたのはかすかなるうしのこえ。

午睡の字のお手本のように昼寝をする牛。

春眠はとくに気持ちがいいのだろう。







いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

ひばりのおしゃべり


ヒバリも見つけられなかったけれどツグミの姿を写すことができた。

調べてみるとツグミは冬鳥で日本で越冬した後はシベリアへ向かうらしい。

この鳥もきっと旅支度を整えてこれからの長旅を想っているのだろう。

そう思うとなんだか凛々しく見えた。











いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

やめるはひるのつき


昼の白い月は雲の向こうに隠れていた。

かわりに風に揺れる白い花をじっと見ていた。


しろいはながゆれる

しろいはながゆれる

しろいはながゆれる

しろいはながゆれる












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即興と反芻

 

『よつあし』

 

人類が誕生する遥か昔、大地が氷河に覆われていた頃。

鯨に四つの足が生えたような巨躯を持ち、体は太い白い体毛に覆われ、四角い顔らしきものから伸びた髭とも角とも解らないものを引きずりながらゆったりと雪原を闊歩する獣がいた。

この獣はときに立ち止まって、巨大な顔と髭を鐘楼のように左右に振るのだがこの現象はくしゃみのようなものだと考えられている)、その長い髭が風を切る音はジェット機のエンジン音の数百倍というとんでもない轟音で、一度このくしゃみが起こると、大地が揺れ津波が起り火山が噴火したという。髭には無数の穴が空いていてそこに風が吹き込むことで音が鳴るのだが、一つ一つの穴の形状はどれも違っていて、もはや振動でしかない重低音から超音波のような超高音まで複雑に重なり合った音を鳴らすことができ、髭の一本一本の動きはまるで意志があるかのように生き生きと舞い、音を奏でる。彼は顔を左右に振りながらオーケストラのマエストロのような気分で大地が沸き上がるのを楽しんでいたようである。

この獣は後の時代のマンモス、あるいは現代のジャコウウシの祖先と唱える研究者もいるが、確かなことは何も分かっていない。通称“よつあし”と呼ばれているこの獣がもし現代に生きていたら、神という概念を信じる信じないに関わらず、その演奏に畏怖の念を覚え、あの存在はカミそのものだと認識せざるを得ないだろう。それほど我々人間とはかけ離れた存在なのである。

 

 

 

 

 

名古屋で開催中のよつあし展の初日、この展示の参加作家3人が集まり

それぞれが持ち寄った素材でその場でよつあしを作るというライブ制作があった。

よつあしというのは名前の通り四つの足を持つ生き物で

版画家の富田惠子さんが自身のモチーフとして

特定の動物の固有名より限定的でない呼び方として呼んでいる名前である。

上に書いた物語は僕の創作物で、全て架空のおはなし。

ライブ制作で作ったよつあしに勝手につけた神話である。

 

この即興で何かを作る、というライブ制作が僕にとってとても新鮮だった。

普段、木を彫るという作業の中で体験する時間とは違う、まったく別の脳の筋肉を使う体験だった。

まず様々な素材がテーブルの上に置かれ、素材の海に放り出された状態からスタート。

麻布、針金、流木、厚紙、鹿の角、牛革、藁半紙・・・

どれも風化したテクスチャーを持った眼に楽しい品々で、

何もかもを掴もうとすると溺れそうになるので、一つの素材を手に持ち、何になるのか考え始める。

僕はここでかなりの苦戦を強いられた。

 

いつも使っているものづくりの筋肉は持久走を走るためのものだ。

彫刻を一体彫りあげるのには長い時間をかけて形を作っていかなければならない。

頭の中に完成形が見えていたとしても、目の前の木は瞬時にその形になることはない。

一彫り一彫り、粘り強く食らいついて、緩やかに変わる景色を見ながら自問自答を繰り返し、いつかのゴールを目指していく。

一方このライブ制作は短距離走、あるいはジャンプ力を必要とする競技なのだ。

素材の軽さを活かしていかに跳躍できるか。

湧いてきたアイデアの力をいかにスムーズに手に伝えられるか。

これは手の器用さよりも、ものづくり脳の柔軟性と適応能力が試される。

 

参加作家の一人、陶芸家の石原稔久さんは柔軟で瞬発力のある筋肉の持ち主だった。

次から次へと素材の海を泳ぎまわり、どんどん作品を生み出していく。

しかもそのどれも同じパターンではなくバリエーションも豊富。

朝から夕方までずっと手を動かし続けて、疲労感もなく風のように軽やかに去っていった。

僕が柔軟体操をしている間に。

 

 

 

 

 

一年程前からクロッキーと粘土を始めた。

どちらも限定された時間の中でいかにイメージの芯を捉えられるか、という鍛練である。

クロッキーは2分、5分、10分という短い時間でモデルさんを描写する。

全ては描けない。

では何を描くか。

一本の線で、空間を。動きを描く。

目で見えている情報を脳に伝達し手に移し紙に写す。

見えているもの全てを描こうとすれば渋滞が起こる。

瞬時に濃縮して濃縮して軽やかで重さのある線にまで絞ってやることが理想だけれど

これがとても難しくて渋滞ばかり起こして時間切れとなる。

 

粘土も同じように制約があることが楽しい。

ゆっくりしていると固まってしまうので最初のイメージに素直に従わなければならない。

何を捉えようとしていたのか。

立ち止まってこねくり回し始めるとダメになってしまう。

正確さより的確さ。

こちらもとても難しいけれど木にはない楽しさがある。

とは言えやはり僕の還る場所は木なのだけれど。

 

 

 

 

牛は四つの胃袋を持ち、食べた物を消化するために反芻する。

一度噛み砕いたものをもう一度噛み直して身体に吸収しようとする。

繰り返し繰り返し、時間をかけて噛み続けるしかない。

牛歩の歩みであっても。

いつか知らないうちに筋肉がついているように。

持久走も短距離走も走れる柔軟な筋肉を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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展示のおしらせ


よつあし展


日時:2018.12.8(土)〜12.24(月) 11:00〜19:00

場所:sahan  愛知県名古屋市千種区猫洞通3-21 KRAビル1F

在廊:8(土)




陶芸家・石原稔久さん、銅版画家・富田惠子さんとの三人展です。

「よつあし」をテーマに動物などを展示します。

石原さんと富田さんの作品にはそれぞれプリミティブな強さがあり

現代的な親和性を持ちながら洞窟壁画を描いていた時代の記憶を感じさせます。

そんなお二人とどのような共鳴を起こせるのか。

どうぞご覧ください。



















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