solo exhibition @ mina perhonen galleria [ 京都 ] --- 2017.7.21-8.2
水源

 

 

 

残雪の信州。

大いなる水の循環を見る。

屹立する山々に積もった雪は

ゆっくりと時間をかけて解けていく。

雪は水に変わり、地中へと染み込む。

そこから重力によってじっくりと時間をかけて平地へと移動する。

いま僕の立っているこの地に湧き出している水は

半年前にあの山々に積もっていた雪だという。

時間と重力の偉大さに心を打たれた。

 

 

 

 

 

白い雪は白い花に姿を変える。

この山葵(わさび)の花はこの地に湧き出している

自然の湧き水のみで育っているという。

山葵が育つために必要な養分と酸素は

水が地中に潜っている際に腐葉土から吸収したもの。

その湧き水のみで2年間かけて育った山葵を味わうと

山塊の凛とした澄んだ香りが身体の中に染み込んでいくようだった。

 

 

 

 

 

 

 

水草が絶えず揺れている。

タルコフスキーのソラリスを思い出す。

人間の潜在意識の中にある一部の記憶を具現化してしまう高度な知の海ソラリス。

蓋をしておきたかった自分の醜い部分をあらわにされた人間の心理を描くSF映画だ。

人間は知の海に対して何も為す術がない。

タルコフスキーの映画には必ず水が象徴的に登場するが

水という存在は多面的で流動的で大きな魅力に溢れている。

生命のはじまり。時間や重力の象徴。大いなる循環。

空から落ちてくる一粒の雨にさえ壮大なものが乗っている。

 

 

 

碌山美術館も白骨温泉もいい場所だった。

彫刻も温泉も素晴らしかった。

しかし、たまたま立ち寄った山葵田の湧き水に心奪われてしまった。

偶然はずるい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

travels - -
伊東

 

この4月に伊豆半島の伊東にてオープンしました

星野リゾート界アンジンホテルの客室に作品を飾っていただきました。

僕が作品を納めたのはスイートルームの5室です。

 

このホテルの名前にもなっているアンジンとは、

三浦按針(ウィリアム・アダムス)という英国人航海士で

江戸時代に徳川幕府に仕え、伊東の地で日本初の洋船を手掛けた人物です。
ホテルの前には記念碑があり、この地の特長的文化になっており

客室やロビーなどもそうした航海士アンジンにまつわるデザインで統一されています。

 

目の前には一面の海が広がり気持ちがいいです。

伊東に行くなら・・・。

是非。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

information - -
水脈

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薄灰色の空から降る雨の日に始まりを迎えた白い時間は

薄灰色の空から降る雨の日に終わりを迎えた。

幕を閉じる少し前に雨が止み、蕾から花開いた桜の白さがぼんやりと浮かび上がっていた。

199時間の間じっと動かずにそこに佇んでいた彫像たちの周りで

人々の様々な想いと窓からの光だけが移ろいでいるようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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百年前の絵画から新鮮な光が溢れている

二万年前の壁画に生命の灯が燃えている

 

そこに宿る時間は一体何だろうか

 

 

 

 

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木は変わらずにいつだって新しい鏡を用意して

僕が僕で在る以前の僕を映し出してくれる

 

僕は余計なものを身に纏わずに

そこに立つことが出来るだろうか

 

 

 

 

 

 

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昨年の冬の旅の風景は僕の中に確かに蓄積されていた。

それに気がついたのはこの展示が終わった頃だった。

 

木は鏡のようだ。

木をじっと見つめることはそこに映し出される自分を見つめることになる。

僕はなぜ僕で、他人ではなく、そして自分とは何なのかという問いは

どうやら自分の中を掘っていっても同じところをぐるぐると回るばかりで

確かな答えが見つからないらしい。

けれど木を鏡にしてそこに映し出された自分を見ることで

僕の認識している外側の僕を発見することができる。

僕はこう在りたいと思って作り上げている僕が今存在している僕で

それ以前の作られる前の僕が木という圧倒的大自然を前にして立ち現れてくる。

 

というように理解してみると

問題は僕がどれだけ何も作らずに木の前に立てるかということになる。

自分が水のようになって木の中に入れるか、ということになる。

何が滲み出てきても否定せず、恥も忘れて、流れる水になれるか。

清も濁も合わせて飲み込んで、ただただじっと立ち現れてくるものを待てるか。

 

それができればきっと僕は枝先の雨になって

湖にも海にも流れていける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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自分とは何か。

わからない。

わからないから木を彫っている。

わからないものをわからないままに掘り出して

そこに置いてみると何かが立ち現れてくる。

 

何が本当か。

わからない。

けれど本当でないもの、違和のあるものは何となくわかる。

それを削り落としていくことで本当のものだけが残ったらいい。

 

 

 

 

 

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白い時間は僕の中にある個人的な無意識の時間だけれど

それを一緒に見ようとしてくれる人がいることが本当に有難い。

それを自分のこととして見てくれる人がいることが本当に有難い。

 

この時間の蓄積を一度全て忘れて、地中に染み込ませて

木の中を通って再び薄灰色の空に浮かび上がってくるのをじっと待っていたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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