【旅での貰い物 珊瑚礁】
地方で展示会があると最近は車で行くのが常になった。
作品を積み込んで展示会場へ向かい、設営し、宿に泊まり、次の日に在廊する。
そしてそれまでの制作期間の全てをそこに置いてきて
空っぽになった僕と車は気の向くままに寄り道をしながら帰る。
寄り道。余韻。余白。
そういったものを間に挟まないと次へ進めないのかもしれない。
【旅での拾い物 流木(竹)】
京都での在廊を終えて、香川へ向かった。
目的は色々とあったが、お世話になっている大切な人たちとの再会が一番の動機だった。
古道具屋、パン屋、イラストレーター、金工作家、陶芸家、造形作家、珈琲屋。
それぞれがそれぞれの意識を持って生きている分厚い人たち。
酒を交わし、言葉を交わし、その生き様に触れると色々な感情が湧いてきて
普段鈍感になっている部分を刺激される。
それはできれば隠しておきたかった不細工なものまで表面に浮き上がってきて
自分の薄っぺらさを痛感させられる。
でもそれは自分でも薄々気がついていたことで
やはりそこを耕さないといけない、耕すべきなのだ。
放っておいても誰かが耕してくれるはずもない。
【ナカオタカシ 海辺の家】
女木島では瀬戸内生活工芸祭をやっていて、6人の作家がこの島で取れた土や植物
あるいはランドスケープからインスピレーションを受けた作品を展示していた。
同じ土地、同じ場所であるにも関わらず、それぞれ視点も違えば見ている方向も違って面白い。
それぞれが普段の制作で積み上げてきたもの。
その延長線上のものをそこに置いている。
場の力に頼りきることなく、むしろ闘っているようにも見えた。
そこにはただ綺麗なものだけではなく、醜いものも同時に存在していて
無理に溶け込ませることもせず、二物が同列に存在する美醜一体のように思えた。
それは山に登ったときに感じるような、或いは海で拾い物をしている時に感じるような
自然の持つ恐ろしくも崇高な何かに触れる感覚に近いかもしれない。
それは僕の中にも確かにある感覚で
力不足かもしれないが、この中に混ざってみたかった。
これからの制作に思うところが沢山できた。