瀬戸内の海は淡く、穏やかだった。
船でも通らない限り、波がほとんど立たない。
小さく小さく遠慮がちに寄せている波打ち際にしゃがみ込んで
遠く霞がかった点々と浮かぶ島々をぼーっと眺めていると
時間の概念が薄く溶けていくようだった。
僕の住んでいる神奈川にも海はあり、たまに流木など拾いに行くのだが
こんな感覚になったことはない。
太平洋という大きな場所に開いて存在しているものと
周りを陸地に囲まれて存在しているものとの差なのだろうか。
僕はこの小さな海がすぐに好きになった。
今回の旅では豊島、直島、そして牛窓を訪れた。
島を訪れるのは学生の頃に行った屋久島以来だった。
目的は美術や建築を観ることで、どちらも素晴らしいものだったけれど
振り返ってみるとその途中で感じた音や自然の景色が多く蘇ってくる。
自転車を借りて何もない道をただ走る。
途中、気に止まった風景に足を止め、眺める。
そしてまた走り出す。ただその繰り返し。
目的地と目的地の間の余白みたいなものだけれど
ただの移動ではないものがそこには流れていた。
牛窓では大切な人と再会した。
東京を離れ、穏やかな海に移り住んだ二人の暮らしは
より一層穏やかなものになっていた。
住まいや食べ物などは随分変わったようだったけれど
二人の醸し出す空気と芯にあるものは変わらずにそこに在って
それを感じて安堵と尊敬の念を覚えた。
彼らは自分たちの役割がその時々にあって
それを果たす為にその役割に合った土地に移っているように見えた。
いや、自ら移っているというよりも導かれているという感覚に近いかもしれない。
何か大きなひとつの流れの中で今現在を生きていて
自分を大きくし過ぎず、小さくもし過ぎずに人や土地と関わっているのを見て
自分もそうあれたらと思うのだった。