間仕切り

自分の部屋を与えてもらった頃からだろうか。
僕は模様替えが好きな青年だった。
ベッドや勉強机、本棚、スピーカーの位置を狭い部屋の中でぐるぐると動かしていた。
しばらくすると、ただ動かすだけではつまらなくなり
本棚や飾り棚を自作し始め、間仕切りを入れて空間を区切ってみたり
一畳ほどの石庭もどきを部屋の中に作ったこともあった。
そんな模様替えや飾ることが好きな体質は今でも変わらず
夜中でも思い立ってしまうとじっとしていられない。




昨日は薄い布でダイニングとキッチンとの間仕切りを作った。
光と風を通し、人の気配も感じられる程度の軽さ。

部屋がやわらかくなった。

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旅の記録 - 瀬戸内 -


瀬戸内の海は淡く、穏やかだった。
船でも通らない限り、波がほとんど立たない。
小さく小さく遠慮がちに寄せている波打ち際にしゃがみ込んで
遠く霞がかった点々と浮かぶ島々をぼーっと眺めていると
時間の概念が薄く溶けていくようだった。

僕の住んでいる神奈川にも海はあり、たまに流木など拾いに行くのだが
こんな感覚になったことはない。
太平洋という大きな場所に開いて存在しているものと
周りを陸地に囲まれて存在しているものとの差なのだろうか。
僕はこの小さな海がすぐに好きになった。




今回の旅では豊島、直島、そして牛窓を訪れた。
島を訪れるのは学生の頃に行った屋久島以来だった。
目的は美術や建築を観ることで、どちらも素晴らしいものだったけれど
振り返ってみるとその途中で感じた音や自然の景色が多く蘇ってくる。

自転車を借りて何もない道をただ走る。
途中、気に止まった風景に足を止め、眺める。
そしてまた走り出す。ただその繰り返し。
目的地と目的地の間の余白みたいなものだけれど
ただの移動ではないものがそこには流れていた。



牛窓では大切な人と再会した。
東京を離れ、穏やかな海に移り住んだ二人の暮らしは
より一層穏やかなものになっていた。
住まいや食べ物などは随分変わったようだったけれど
二人の醸し出す空気と芯にあるものは変わらずにそこに在って
それを感じて安堵と尊敬の念を覚えた。

彼らは自分たちの役割がその時々にあって
それを果たす為にその役割に合った土地に移っているように見えた。
いや、自ら移っているというよりも導かれているという感覚に近いかもしれない。
何か大きなひとつの流れの中で今現在を生きていて
自分を大きくし過ぎず、小さくもし過ぎずに人や土地と関わっているのを見て
自分もそうあれたらと思うのだった。


travels - -
展示風景





























静かな森の中。
木々を揺らす風の音と、春告鳥の鳴き声。
それ以外の音は無く、窓からの光だけが刻々と動いている。

そんな場所に作品を並べて、人と言葉や言葉にできない何かを交わす。
僕はこの瞬間に未だ知らない僕を知る。

僕は作ることでかろうじて、世界と繋がっていられる。
そして、自分と繋がっていられる。
何が真実か分からなくなってしまうことが多いこの世界で
自分の中にある真実に出会える場所。
僕は作ることでかろうじて、そういった場所にアクセスする術を得ているのかもしれない。

今回の在店中に来て下さったある方が
展示を見た感想をご自身のブログに綴っておられた。
素敵な文章だったので、ここに紹介させていただきます。




展示は今月20日までこちらで行っております。
どうぞよろしくお願いいたします。


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