個 展 「 現 象 」
会期:2022年12月3日(土)〜12月25日(日) / 水曜・木曜休み
場所:921GALLERY 岡山県赤磐市下市92-1
時間:10:00〜18:00
在廊:3日(土)・4日(日)
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個 展 「 境界線 」
会期:2022年9月3日(土)〜9月11日(日) / 水曜休み
場所:うつわ菜の花 神奈川県小田原市南町1-3-12
時間:11:00〜18:00
在廊:3日(土)・11(日)
僕と自然との間に引かれた境界線を消すために。
科学の基本は物事の差異を発見し、分類することで理解することだが
そこで引かれた境界線は普段なかなか認識することがない。
この世界に生まれ言葉を獲得したときから父と母という存在は分けられ
昼と夜が分けられ、僕と他者(この世界の全て)は分けられた。
今から抗って分割せずに全を一として物事を理解するというのはどうにも難しそうだ。
しかし一度引かれてしまった境界線を一本一本消していくことは出来るのではないだろうか。
僕は彫刻をする。
僕と自然との間に引かれた境界線を消すために。
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巡回展 「 端 境 」
会期:2022年7月8日(金)〜7月14日(木) *展覧会開催期間は無休
場所:ギャラリー上り屋敷 東京都豊島区西池袋2-32-6
時間:13:00〜18:00
在廊:7月8日(金)
【初日のご来場について】
7月8日(金)は終日ご予約制となります。
ご予約は7月3日(日)10:00よりお電話にて承ります。
?13時 ?14時 ?15時 ?16時 ?17時(各回3名)
お問合せ:ギャラリー上り屋敷 080-4181-0101
【緊急告知】
KDDI回線不具合により上記の電話番号に繋がらない場合は
こちらの電話番号にお問い合わせください→080-4442-1943
6月にパリで行いました展示会の巡回展を
東京のギャラリー上り屋敷にて開催いたします。
人物像と雀の作品を中心に展示いたします。
どうぞよろしくお願いいたします。
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Takatoshi Kuronuma 「 端 境 」
Exposition personnelle
11/06/2022 - 17/06/2022
Espace Sorbonne 4
4 rue de la sorbonne 75005 Paris
+33 6 76 75 12 37
espacesorbonne4@gmail.com
https://www.instagram.com/espacesorbonne4/
パリにて小さな展示会を開きます。
木彫と粘土による人物像と雀の作品を展示いたします。
感染症が未だ収束しないため、残念ながら渡航は控えさせていただきました。
現地の方々に楽しんで頂ければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
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雨はいつだって過去だから
土の記憶を持っている
土はいつだって現在だから
雨の行方を知っている
私は沈黙の傘を差し
環のなかで青を踏む
個 展 「 雨 の 行 方 」
会期:2022年4月26日(火)〜5月8日(日) *展覧会開催期間は無休
場所:minä perhonen elävä? 東京都千代田区東神田1-3-9
時間: 11:00〜19:00
在廊:4月26日(火) 30日(土)
【初日のご来場について】
4月26日(火)は終日ご予約制となります。
ご予約は4月15日(金)よりお電話及びelävä ? 店頭にて承ります。
?11時 ?12時 ?13時 ?14時 ?15時 ?16時 ?17時 ?18時(各回3名)
お問い合わせ:elävä? 03-6825-3037
【同時開催】
会期:2022年4月28日(木)〜5月8日(日) *展覧会開催期間は無休
場所:minä perhonen neutraali 東京都渋谷区猿楽町29-10 HILLSIDE TERRACE C棟1階
時間:11:00〜19:00
在廊:4月28日(木)
*neutraaliでは、雀の作品のみ展示いたします
【初日のご来場について】
4月28日(木)は整理番号順にご案内いたします。
整理券は当日10時40分より配布し、オープンの11時から順にお伺いいたします。
お問い合わせ: neutraali 03-6821-8037
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フリーマガジン『FILT』にて加藤浩次さんとの対談を掲載していただきました。
対談というより、僕の話を一方的に聞いてもらったという印象ですが
現場は熱量高く、加藤さんの理解力と話術に助けられあっという間に時間が過ぎたのを思い出します。
その様子は編集後記にも書かれています。
どうぞご覧ください。
https://filt.jp/issue116/s12.html
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この度、公式ウェブサイトをリニューアルいたしました。
近年の作品写真を中心に掲載しておりますのでどうぞご覧ください。
旧サイトをブックマークされていた方には新サイトへの変更をお願い致します。
クロヌマタカトシ公式ウェブサイト
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新年あけましておめでとうございます。
お陰様で昨年は4回の展示会を開くことが出来ました。
会場にお越しいただいた皆様には厚く御礼申し上げます。
本年も作品制作により一層、力を注いで参りますので
どうぞよろしくお願いいたします。
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2022 展示会予定
4月 個展 minä perhonen elävä?(東京)
6月 個展 Espace Sorbonne 4(Paris)- ギャラリー上り屋敷(東京)
9月 個展 うつわ菜の花(神奈川)
12月 個展 921GALLERY(岡山)
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アトリエにやってくる雀たちが丸くなってきました。
今年もライフワークとして作っていきたい。
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個 展 「 端 境 の 狼 」
日時:2021年12月18日(土)〜12月26日(日) 12:00〜18:00
休み:20(月)、22(水)、24(金)
場所:border 香川県綾歌郡綾川町牛川828-1
在廊:18日(土)
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個 展 「 端 境 」
日時:2021年10月16日(土)〜10月24日(日)
場所:SHOKEN IZU 静岡県伊東市富戸903-136
在廊:16日(土)
※本展覧会は完全予約制です。お手数ですがSHOKEN IZU特設サイトより
ご予約をお願い致します。
SHOKEN IZU 特設サイト → ☆
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端境
何処から来て何処へ向かうのか
一つの事が終わりを告げ
次の事が未だ始まらない
時間と空間の停泊場に立つ私と
眼前で沈黙を守り横たわり続ける木
このまま何も崩したくはない
脈々と続く悠久の生命の時間の中で
何を選択し何を切り捨てるのか
鑿を握る臆病な左手
この先に何が在るのか
繰り還し繰り還し
現れては消えていく生成と消失の端境で
静かに右手を降り下ろす
未だ名前のない場所に向かって
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オウンドメディア『手仕事を結ぶ庭』に文章を寄稿しました。
今回はこの夏に盛岡で行った展示会のことを書きました。
よろしければご覧ください。
https://musubuniwa.jp/ha/9037/
秋分の日に
素敵な手紙と東雲と
黎明の鳥はつづく
2021.9.23
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今現在、彫刻作品をご覧いただけるギャラリーをご紹介します。
SHOKEN IZU
静岡県伊東市富戸903-136
女性像、小屋をお取り扱いいただいております
特設ページ → ☆
MUTTE
岡山県岡山市北区富田町2-2-7
女性像、人物像、礼拝堂をお取り扱いいただいております
特設ページ → ☆
WEBでもご丁寧にご紹介して下さっていますが
実物を見ていただくことが作者にとっては幸福です。
お近くへお越しの際にはどうぞご覧ください。
※SHOKEN IZUは展示会中のみ開廊。今年10月に個展を予定しております。
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個 展 「 黎 明 の 鳥 」
日時:2021年7月9日(金)〜7月25日(日) 11:00〜19:00 火・水休み
場所:喫茶carta 岩手県盛岡市内丸16-16
在廊:9日(金)
⁂
宇宙の始まりを知る者はいるのか
人間の始まりを知る者はいるのか
記憶の始まりを知る者はいるのか
私の始まりを知る者はいるのか
朝
東の空が焼けて
新たな世界が生まれるとき
鳥達はすでに鳴いている
僕はひとり立ち尽す
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photo:Daisuke Tanaka
年に数回ウェブ上で連載している『手仕事を結ぶ庭』に
文章が掲載されました。
毎回毎回、言葉というものの捉えられなさに悩みながら書いています。
今回は友人へ手紙を書くという形式で日々の心情を描写しました。
宜しければご覧下さい。
https://musubuniwa.jp/ha/8395/
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個 展 「 鈍 色 の 先 」
日時:2021年4月24日(土)〜5月3日(月) 11:00〜19:00 火・水休み
場所:MICHIO OKAMOTO WAREHOUSE 東京都八王子市中野上町5-3-4
在廊:24日(土)・25日(日)
※24日(土)のみ予約制
4月15日(木)午前10時よりメールにて受付
MAIL: info@michiookamoto.com
お名前・電話番号・人数記載の上、お申込ください
映像制作:山口明宏
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個 展 「 鈍 色 の 先 」
日時:2021年4月24日(土)〜5月3日(月) 11:00〜19:00 火・水休み
場所:MICHIO OKAMOTO WAREHOUSE 東京都八王子市中野上町5-3-4
在廊:24日(土)・25日(日)
−
グレースケールのなかにおいて
究極的に『白い』或いは『黒い』
ということは存在するのか
色の三原色を重ねれば重ねるほど黒くなり
光の三原色を重ねれば重ねるほど白くなる
では、これ以上もう重ねられない
極の状態は現実に起こり得るのか
もしそれを作れたとして(極白、極黒)
そこへもう一つ同じ極白、極黒を作り
重ねた場合はどうなるか
これは無限大に発散する
認識出来得る極白、極黒とは
ある枠の中でしか存在し得ず
それは極とは言い難い
従って極にある白と黒は概念であり
全ての存在し得る白と黒は灰色である
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個 展 「 鈍 色 の 先 」
日時:2021年4月24日(土)〜5月3日(月) 11:00〜19:00 火・水休み
場所:MICHIO OKAMOTO WAREHOUSE 東京都八王子市中野上町5-3-4
在廊:24日(土)・25日(日)
※24日(土)のみ予約制
4月15日(木)午前10時よりメールにて受付
MAIL: info@michiookamoto.com
お名前・電話番号・人数記載の上、お申込ください
映像制作:山口明宏
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2021年クロヌマタカトシ展示会予定
4月24日〜5月3日 MICHIO OKAMOTO WAREHOUSE 東京・八王子
7月9日〜7月25日 喫茶carta 岩手・盛岡
10月16日〜10月24日 SHOKEN IZU 静岡・伊豆高原
12月中旬頃(未定) 空とたね 香川・綾川
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写真をふと見返していると
3年前の冬のある日の光景が記憶の中から浮上して
凍てついた耳に刺さるように吹いていた風や
冷たく濡れた靴下の感触まで思い出す。
穏やかな音楽が流れる珈琲屋の
窓辺の席から外を見ていた時間とともに。
⁂
前回の個展からしばらく作るのをやめていた。
何も作れない、というよりは何も作らないようにしていた。
アトリエには入っていたが自然と生まれてくるものを待つようにして時間を過ごし
何も出て来なければ今日は仕方ない、という日々を過ごしていた。
人間とは何かという仰々しいテーマを掲げてみたものの
何も分からないまま前回の展示会は過ぎていったのだが
体験としてはこの身体の中に何か残るものがあった気がして
それが発酵されて新たに産まれ出るものを待って静観していた。
そうやって一ヶ月とちょっと、待ち続ける時間が重なってくると
流石に焦りも感じてきて、何か作らなければという気持ちになるのだが
そこは頑張って作らないようにして本など読んで誤魔化した。
Amazonの注文だけが増えていった。
⁂
何か偶発的なものに出逢いたければ旅が一番いい。
旅は未知の検索ワードに出会うことだと東浩紀氏は語っている。
著書「観光客の哲学」の中でも“誤配”という概念を様々な方向に展開していたし
近著「ゲンロン戦記」の中でも次のように語っている。
ぼくはよく、コミュニケーションでは「誤配」が大事だということを言います。
自分のメッセージが本来は伝わるべきでないひとにまちがって伝わってしまうこと、
ほんとうなら知らないでもよかったことをたまたま知ってしまうこと。
そういう「事故」は現代ではリスクやノイズと捉えられがちですが、ぼくは逆の考えかたをします。
そのような事故=誤配こそがイノベーションやクリエーションの源だと思うのです。
東浩紀著「ゲンロン戦記」より引用
ここではコミュニケーションについて語られているが
事故=誤配こそがクリエーションの源という概念は様々なものに当てはめることができる。
何か新しいものを生み出す時には予期せぬ事故が必要。
制作においてもこの事は僕自身、過去に何度も覚えがある体験だ。
流木から動物を彫ろうと思っていたら上手くいかず
放り投げていたら向きが逆さまになって、その姿が老人像に見えて彫りなおしたこと。
彫っている途中で大きく割れてしまってがっかりしたけれど
その裂け目が面白くて方向転換したこと。
着色がうまくいかず最初の色に何度も上から重ねて塗り直しても気に入らず
全部洗い流して最初からやろうと思っていたら洗い残りの偶然の混色が絶妙だったこと。
挙げ始めるときりがないほど誤配に満ちている。
僕は制作中に常にどこかで事故を求めているし、海岸で流木を拾うこともすでに誤配だ。
さらに言えば手を動かし始める前の段階、何を作ろうかと構想を練る段階にも
誤配らしきものが侵入して来ないか期待しているところがある。
そうして僕は小さな誤配の旅である、散歩へ出掛けるのだった。
⁂
つづく
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新年あけましておめでとうございます。
年男ですが、変わらずに、慎んで、歩を進めて参りたいと思います。
2021年は4回の展示会を予定しております。
本年も宜しくお願いいたします。
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クロヌマタカトシ『誕生』/921GALLERY
映像制作:takahisa suzuki
音楽:haruka nakamura
企画:921GALLERY
921GALLERYにて12月5日から12月27日まで開催しました
クロヌマタカトシ『無題』は無事に閉幕いたしました。
この展示会では、作品を発表し販売するという枠を超越した何かが生まれました。
その何かとは、言葉に出来ませんが、自分一人では到底作れないものでした。
この時代、この場所で、この時に起ったこと。
空間と時間の記憶を少しでも残したいという想いから映像を作っていただきました。
今回お越しいただけなかった方、展示会に想いを寄せて下さった方々にお届けします。
感謝を込めて。
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一定の強さでヴァイオリンの弓がひかれ
それに伴って弦が振動している
情緒的にもならず
冷たくもなく
山も谷も無い平らな音が
空中を漂っている
その隣で静かに大切に叩かれた鍵盤の爪先から
微かな音がこぼれ落ちている
生まれた瞬間から
減衰していくことを定められた
一つ一つの音の粒が
地上に降りる前に消えていく
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映像制作:CAFE DU GRACE 921GALLERY
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個 展 「 無 題 」
日時:2020.12.05(土)〜12.27(日)10:00〜18:00 最終日〜15:00 / 休み:水曜
場所:CAFE DU GRACE 921 GALLERY 岡山県赤磐市下市92-1
在廊:12.05(土)
人間とは何か。
未だ、未だ、僕にはわからない。
土に、木に、
形を与えなければならない。
人の形を、人の像を。
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本日グランドオープンされましたギャラリー『SHOKEN IZU』のウェブサイトにて
作品をご紹介いただいております。どうぞご覧下さい。
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ホームページの作品を更新しました。
2012〜2019年までの過去作品をご覧頂けます。
こちらからどうぞ。
※スマホ対応していないのでパソコン推奨です
ーーー
新しい展示会へ向けて制作が始動した。
この作品は3年前の自分。
果たしてこれを超えられるか。
逆行ではなく順行する時間の中で。
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4月に行われるはずの展示会が9月に延期され
桜の木には蝉の声が響いていた。
季節が巡って、風も光も変わっていた。
冬の間に作っていた作品は行き先を見失って
アトリエに佇んだまま時間が過ぎていった。
じっと何かを待っているかのように。
制作の手が一時的に止まることもあったけれど
なるべく作るように自分を励まして自粛期間を過ごした。
人との距離は開いたが、自然との距離は縮まった。
山に入って清流の音を聞いたり
海に行き絶えず動き続ける大いなる時間を見た。
森に入って小さな虫になって土と風を感じた。
僕の身体の中に自然の音が入っていった。
あとはこれを作品にうつすことができればいい。
木が持っている雨風の記憶を借りて。
白南風:夏を告げる風
氈 鹿:山奥の神秘的な気配
白岩山羊:急峻な山々、あるいは巨岩
鯨:大いなる時間
木 立:乱立する木々、その間を通り抜ける風
雨 燕:海風の香り
ーーー
今回の展示会は3日間だけの開催となったが
観に来てくださった方々と言葉や気持ちをじっくりと交わすことができた。
作った作品を展示して、生で観てもらい、何かを感じてもらう。
この単純なことが本当に幸福に思えた。
今回の展示会にお越しいただいた皆様。
ギャラリーらふとのスタッフの方々に厚く御礼を申し上げます。
ありがとうございました。
2020.9.14
虫の音すだくらふとにて
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クロヌマタカトシ展「共鳴」
日時:2020.09.12(土)13(日)14(月) 11:00〜18:00
場所:ギャラリーらふと 千葉県市川市鬼高1-1-1 ニッケ鎮守の杜
在廊:全日
※初日は予約制とさせていただきます《9.7(月)10:00より》
予約受付サイト▷https://raft-takatoshikuronuma2020.peatix.com
僕の身体は水と音で出来ている
原子は振動し熱となって脈動し
身体中に水を循環させている
彫刻する木は枯渇し微動だにせず
新たな時間を待っている
雨と風の記憶を内側に携えて
二つの振動体の間で交わさせる音の交換は
彫刻する者とされる者の関係を反転し続けながら
やがて一つの像を結ぶ
そこに音は鳴っているだろうか
生命の水は流れているだろうか
僕はただ耳を澄ましている
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オウンドメディア『手仕事を結ぶ庭』での連載に
新しい文章を寄せました。
自粛生活の中で何を見つけていこうか。
下記よりご覧いただけます。
https://musubuniwa.jp/ha/4539/
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SHOKEN IZU 完成記念プレオープン展
日時:2020年7月22日(水)〜7月26日(日) 12:00〜17:00 完全予約制
場所:SHOKEN IZU 静岡県伊東市富戸903-136 城ヶ崎海岸伊豆急別荘地内
作家:クロヌマタカトシ 荒川真吾 安齊賢太 尾形アツシ 小野哲平
木曽志真雄 田宮亜紀 升たか 矢尾板克則 ハタノワタル
SHOKEN IZUではご来場の皆様にゆっくり作品をご覧いただくため
完全予約制とさせていただきます。
オープン期間のうちご希望の日時/お名前/人数/当日ご連絡のとれる電話番号/交通手段をお知らせください。
混雑防止のためご希望に添えない場合がございます。
あらかじめご了承願います。
ご予約専用MAIL | izu☆shoken.co ☆印を@に変えてお送りください。
2020年7月22日(水)〜7月26日(日) ご予約時間 12:00〜/ 13:00〜/14:00〜/15:00〜/16:00〜
駐車場2台完備
SHOKEN IZU 概要
建築設計|山田誠一 (山田誠一建築設計事務所)
構造 |高橋俊也構造建築研究所
施工 |株式会社梅原建設(建築工事)|山脇豊左官(左官工事)
サイン意匠 |クロヌマタカトシ
アートデザイン |橋詰冬樹
:::
伊豆高原に新しくオープンするギャラリー「SHOKEN IZU」にて開催される
プレオープン展に参加いたします。
彫刻作品数点と大型流木作品を出展します。
また、ギャラリーのサイン意匠を担当させていただきました。
サイン意匠の事は後日ブログに書きたいと思います。
6月に一足先にギャラリーの内覧をしました。
窓からのおぼろげな自然光の移ろいに伴い、変容する薄灰色の左官壁や
まるで随分前からそこに在るような、調和を感じさせる建物の佇まい。
海を見ながらギャラリーへ向かう時間。
作品を観るとは、どういうことか。
ひとつひとつ考えを積み重ねていくと、こういう形になるのではないでしょうか。
静謐な空間と作品との共鳴を、僕自身楽しみにしています。
内覧は完全予約制ですので、お気を付けください。
https://shoken.co/
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看板の制作を頼まれた。
新しくオープンするギャラリーのために。
単線の鉄道に揺られ、水平線を窓の向こうに眺めながら駅に着いた。
遮るもののない改札を通り抜けて、新緑の桜並木を歩く。
静かだった。
雑音がしない。
今空気を振るわせているのは僕の呼吸音と葉擦れくらいだろう。
桜の木の脈打ちが僕の肺に響いてくる。
気がつけば目的地に着いていた。
落ち着いたウォームグレーの一軒家。
以前にもここに来たことがある。
そんな錯覚をおこすような郷愁漂う佇まいの家だった。
新しいものであるはずのものに懐かしさを感じるのは何故だろうか。
これは彫刻を作っている時の問いの一つでもある。
剥がれたペンキや錆びた鉄、風化した木肌などのテクスチャを
表面だけなぞってみたところでノスタルジーにはならない。
それは時間の被膜を人工的に作り、貼り付けているだけで
中身に時間が存在していない。
人が郷愁を感じるのはその人の記憶と中身の時間が結びつくからではないだろうか。
郷愁を感じる彫刻の中には時間が存在していて
対峙した人間の無意識の記憶と結合して見えないものを感じさせる。
それは時に遠い生命の記憶まで手繰り寄せて懐かしいと感じさせる。
だから懐かしさは自分が体験していないことでも感じることが出来る。
そう解釈してみれば、新しいもの、新しい場所に懐かしさを感じることは
そこに時間が存在していれば自然と成り立つのだろう。
きっとこの新しいギャラリーには時間が存在していたのだ。
石板にギャラリーの名前を刻んだ。
木ではなく、石がいいと思った。
トルコ産のトラバーチンという石を選んだ。
時間を感じたからだ。
石を彫るのは初めてだった。
石は木より冷たく、より一層静かだった。
固く、重く、柔らかい。
言葉が誕生し、文字が発明させて
古代メソポタミア、古代エジプトの頃から
人は大切なことを石碑や粘土板に刻んできた。
その歴史を思いながら鑿をすすめた。
ある方に教えていただいた
古代ローマ時代から用いられたラテン語の諺がある。
verba volant, scripta manen
言葉は飛び去るが、書かれた文字はとどまる
この文字が永くこの場所にとどまってくれますように。
願いを込めて、石に刻んだ。
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木を彫ることに自分を掘ることを重ねてきて
この四月で10年となった。
見えることより見えないこと
見えていたものより見えていなかったことが多くなり
この先は果てしない海原なのだという実感は10年前よりも強い。
自分の思考の範囲も分かってきて、同時に飽きてきていて
この見えない線を飛び越えたいと常々考えてはいるけれど
それも線の中のことでしかなく、踠いているように見せて
足のつく見知った浅瀬を巡回しているだけだという恐怖に陥ることがある。
最近読んでいるプラープダーユン著『新しい目の旅立ち』の冒頭にも
同じようなことが書かれていて、これは30代問題なのだと勝手に解釈している。
それでも何かしら動いてみなければ現在地は変えられない。
展示が延期になっても、この国の政治家が文化に関心がなくとも
僕は木を彫ることに、変わらずに取り組まなくてはならない。
それが僕と世界の接点であり、文化的な先人達がみた景色と繋がる
唯一の接点になりうるはずなのだから。
小さな情報に流されずに、兆しに立っていたいと思う。
心ある人が見てくれているみたいで
温かなメッセージを今日も受け取り、感謝の気持ちです。
作品を作ることが人との出会いを豊かなものにしてくれていること。
これは確かなこと。
僕は変わらずに木を彫ろう。
アトリエでやりたい事もあるのでその準備も整えている。
共存の道が見つかって、晴れる日が来るときのために。
:::
文章は自分の頭の中の整理にと書いていたのですが
この春から稲垣早苗さんが主催するオウンドメディアにて
連載を始めることになりました。
よろしければこちらもご覧下さい。
https://musubuniwa.jp/ha/2152/
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4月4日からギャラリーらふとにて開催を予定しておりました
クロヌマタカトシ展「像」は
新型コロナウイルス感染予防のため延期とさせていただきます。
開催時期は未定です。
決まり次第こちらでお知らせいたします。
直前でのご連絡となり申し訳ございませんが
ご理解の程宜しくお願いいたします。
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クロヌマタカトシ展
日時:2019.11.23(土)〜12.01(日) 12:00〜18:00 / 休み:月、水、金
場所:空とたね 香川県綾歌郡綾川町北946-2
在廊:23(土)
3年振りに香川県の綾川町にある「空とたね」にて個展を開きます。
空とたねは、以前は山の中にありましたが、今は田んぼの真ん中にあります。
湿った土の匂いと、芳ばしい風に包まれて、作品を並べます。
ぜひご覧下さい。
作品/山塊の舟
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我々は何処から来て何処へ向かうのかという問いは
宗教と哲学の歴史において、繰り返し問い続けられ、決して答えの出ない問いとして今も在り続ける。
この問いの唯一の解答法は神の概念の導入なのだろう。
人間という階層の上にもう一つ上の階層を付け加えれば、人間の世界は神の箱庭として鑑賞される世界になり、創造物としての生を全うする事が人間の生の根拠となり得るのは納得がいく構造だ。神様を喜ばせるために生きる。多くの宗教の根幹は創造神への感謝である。しかし人間はこの階層を維持できない。神を人間の世界に引きずり下ろして勝手に神の子を生み、階層を越えて神と話をしてしまう。やがてその天啓者を神の階層にいる人間だと思いたい後世の人々によって宗教が始まっていく。
宗教は人間の階層から生まれたものだ。神の階層の概念ではない。だから人間の生の根源について答えを持っているわけではない。ただ神に感謝することしか人間には出来ないということを自覚することが、本来の宗教が教えられる唯一のことではないかと僕は考える。それをただただ信じるということ。帰依するということ。それが宗教の根幹ではないだろうか。
それでは哲学はどうか。哲学はこの問題を上の階層を用いずに解決しようとする。人間に備わった二つの偉大な道具の一つ、“言葉”によって。しかしプラトンでもカントでも東浩紀氏でもこの問題の答えを言葉で記してはいない。それは何故だろう。それは言葉という道具の性能限界がそこにあるのではないだろうか。人間が生の根源について脳で考える。脳で考えるためには言葉を使わなければならない。脳がどれだけ優秀でも、言葉がそのスペックについていけない性能だとしたらその先へは進めない。今身につけている言葉に代わる新しい“言葉ver.2.0”をインストールし、人類が進化するより問題解決の方法はないのだろう。映画「メッセージ」のように。
では言葉の限界は人間の限界を決めてしまうのだろうか。そうではない。人間に備わった偉大な道具はもう一つある。それは“手”だ。
人間は手で何かを作ることができる。洞窟の壁に絵を描くことができる。土を焼いて器を作ることができる。石や木を彫って像を作ることができる。人間は手で何かを創造することで言葉の限界を越えようと、意識的にも無意識的にも努めてきたのではないだろうか。
我々は何処から来て何処へ向かうのか。その問いを言葉に変換する瞬前に手が動き出して訳の分からないものを作る。それはまだ何者でもないもの。言葉の介入してこない世界。古くから芸術家たちはそうやって作品世界を作ってきたのではないだろうか。ラスコー洞窟の芸術家になぜこのような絵を描いたのか、と聞けるとしたらおそらく彼らは答えを持っていないだろう。それは言葉も宗教もない世界での出来事だからだ。縄文人に火焔土器のことを聞いてもおそらく同じだろう。キョトンとして、やがて踊り出し歌い始めるだろう。彼らは哲学や宗教のかわりに音楽と美術を愛していた。言葉以前の世界では歌と踊りが人と人を結ぶ手段だった。
僕はそう考える。しかし、だからといって生の根源に対する問いが無かったとは思わない。人間の思考法が言葉以外にあるのならば彼らの思考法は現代人と別のものだったと思う。ただそれを知る術はないけれど。
僕はいま、言葉と手を持った現代人として何かを作りながら生きている。
手で何かを作り、それに言葉で名前をつける。
あるいは言葉で概念を与えてから手で作ってみたりする。
言葉と手の間で彷徨い、そこに存在する違和は絶えず抱え続けている。
しかしそうやって作り続けていくしかない。
言葉を手放すことはできない。
むしろ言葉によってこの違和を問い続けることができる。
そしてまた手で何かを作ることができる。
宗教から哲学と美術の両輪へ。
問い続けながら作り続けて進む世界へ。
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8月が終わりに向かう頃、海岸に流木を拾いに行った。
展示会が始まる二週間ほど前のこの時期に
流木を拾いに行くことなんて今までにはない。
この日は朝からアトリエで制作を始めたのだが
気持ちがざわざわとして落ち着かず身体も妙に軽すぎて
借物の身体を使っているみたいで木を彫ることに集中できずにいた。
そういえば少し前に台風が来ていた。
もしかしたら海岸にいいものが落ちているかもしれない。
そう思い立ったらもう動かずにはいられなかった。
車に乗って高速道路を風のように走って海に出た。
海岸には無数の流木が打ち上げられていた。
自分より大きな木も横たわっている。
とても持ち上げられるような重さではないその大きな存在に近づいて
漂泊の長い長い道程をその木肌から想うと
波の音も消えて、時間の流れから逸脱し
何処か知っているようで知らない場所を浮遊するような感覚になる。
この感覚が僕は好きだ。
自分が人間であり生命体であることの自覚と
到底計り知ることのできない大きな存在を想うこと。
きっとこの当たり前の感覚に触れる為に流木を拾いに来たのだろう。
制作の渦の中に呑み込まれていた身体をここまで運んできて良かった。
分離していたものが再び繋がったような気がした。
目に留まったいくつかの流木を持ち帰って洗い
その一つで鯨を作ることにした。
計り知れない大きな存在。
死と再生の象徴。
雄大な時間の海を泳ぐ者。
この流木と鯨の存在が僕の中でつながっていった。
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今、この鯨は伊豆にあるギャラリーnoirの黒い空間を泳いでいる。
どうかご覧いただきたい。
二人展「浮遊/vol.2」
日時:2019.9.07(土)〜9.22(日) 11:00〜17:00 木曜休み
場所:ギャラリーnoir/NOKTA 静岡県伊豆の国市中750-1
作家:ナカオタカシ・クロヌマタカトシ
二人展「 浮遊/vol.2 」
日時:2019.9.07(土)〜9.22(日) 11:00〜17:00 木曜休み
場所:ギャラリーnoir / NOKTA 静岡県伊豆の国市中750-1
作家:ナカオタカシ・クロヌマタカトシ
在廊:07(土)
空中を漂い、水面に浮かぶものは、遠い記憶か、未だ見ぬ憧憬か。
二人の造形家による物体と空間の実験、第二弾。
釧路湿原の雄大さは僕にはとても計り知れない。
山手線がすっぽりと入る広大な面積を持ちながら
4000年の間この風景を保ち続けている類稀な湿原。
地形、水の流れ、動植物の活動、気候。
自然界のあらゆる要素が調和し循環することで
この湿原は森にならずに湿原として生き続けていることを知る。
湿原の中を大きく蛇行しながら流れる釧路川。
その川をカヌーでゆっくりと下りながら自然の神秘に触れてきた。
なんて静かなのだろう。
これほどの静寂は経験したことがない。
自分たちが音を発しない限りこの世界に音は存在しない。
そう思える程の静寂に包まれる。
川の脇にはネコヤナギが垂れ下がり、奥にはハンノキが生い茂る。
この日は風もなく、小雨が降り、薄っすらと霧がかかっていた。
音のない世界の中でしばらく舟を漕いで行くと
静寂を破るタンチョウの声が辺りに響き渡った。
野太い声だった。
その姿は声とは裏腹に端正で優美さを携えている。
タンチョウの姿に見惚れていると後ろにはエゾシカの親子。
僕たちに気がついても逃げる様子もなく草を食んでいる。
人が自分たちに危害を加える生き物ではないことを知っているから
ここの動物たちは逃げないのだと教わる。
いま僕たちは湿原の一部になっている。
何も言葉にできない。
4000年の時間の上に浮かび
霧のかかる湖に映るものをただ見ていた。
北の大地への憧れがいつからかずっとある。
冬は雪に深く閉ざされ、厳しい世界と対面し
動植物も人間も春の訪れをただじっと待つ。
やがて雪が溶けて、川に流れて、生命に再生の刻を告げると
植物は一斉に芽吹き、動物たちは大地を駆け回り、生命の賛歌が山塊に響き渡る。
その歌声は大きな声では決してなく、とても静かで謙虚だ。
じっと待つ冬を幾度も越えてきたものだけが持つ声。
その生命の歌声に僕は憧れているのかもしれない。
今回の旅は東北海道の限りなく野生に近い自然を巡る旅だ。
釧路湿原、阿寒湖、摩周湖、風蓮湖、春国岱。
三日間かけてこれらの場所を巡り、憧れていた風景を実際に体感してきた。
そこには生命の形容しがたい輝きと静寂な水の時間が拡がっていた。
根室半島の付根に位置する春国岱を訪れた。
ここは人の手が入っていない原始林と湿地帯が入り混じる場所で
海水が入り込んで来るためにアカエゾマツが立枯れし
白くなった状態で乱立している。
動物が白骨化したようにも見え、この風景に寂しさを感じるのだが
同時にどこか美しさも憶える。
湿地帯から森の中へと入っていくと数年前に豪雨で倒れた木々がそのままの状態で
右にも左にも横たわっている。
根が剥き出しになり、そこにはまだ泥がついていて、恐いほどに黙ったままだ。
沈黙の中に入り込み自分たちが異物のように感じながらも歩を進めると
白い花が静かに咲いているのが目に止まる。
それがずっと輝いて見えた。
何故だろう。
きっとこの花が花壇に置いてあってもこの輝きはない。
生命の死と再生をそこに見るから輝いて見えるのだろうか。
僕たちはこの花を見て安堵し、その先へと向かった。
人工の桟橋が終わるところまで来て、湿地へと足を踏み入れると
鹿の親子の足跡を見つけた。
足跡はそこら中に付いていてまだ新しいものだ。
期待をして足跡を追っていくと開けた場所に出た。
遠くを見つめると草原に寝そべって休むエゾシカの親子を発見し
またあの輝きが胸に落ちてきた。
生命の輝き。
何も大げさなことはなく、ただ2頭の鹿が草原で休んでいるだけの風景だ。
ただそれだけのことで何故これだけ嬉しいのか。
生命がそこに存在する。
この当たり前のことを、僕は何故なのかと考えてしまう。
理由などなく、ただ存在するから、なのだろうけど
では、生命がそこに存在するというのはどういうことか?
と聞かれても答えが分からない。
生物にだけ生命があるのか。モノにも生命は宿るのか。
木は生命なのか。水は生命なのか。
生命とはなにか。
答えの分からない問いに耽っていると、新たな生命が目の前を横切った。
キタキツネだ。
口には獲物を咥えていて、それを見つからないように隠そうとしているようだ。
僕たちの存在に気がついたのか、穴を掘るのをやめて
颯爽と草むらの中へと姿を消してしまった。
生命とはなにか。
この狐はきっと知っているのだろう。
その答えを持って何処かに消えてしまった。
クロヌマタカトシ木彫展「気配」
日時:2019年6月28日(金)〜7月7日(日) 12:30〜18:00
場所:Shoka: 沖縄県沖縄市比屋根6-13-6
在廊:28日(金)
平塚市美術館で開催されている「空間に線を引く 彫刻とデッサン展」を観た。
彫刻家のデッサンと彫刻の関係に焦点を合わせた企画なのだが
展示されている作家が近現代を代表する方々でどれも素晴らしい。
舟越保武、佐藤忠良、若林奮、舟越桂、三沢厚彦、など。
その中で一際目を引いたのは高垣勝康さんの人物像。
心象という形のないものを人間化することによって現れた彫像。
それはつまり高垣さん自身の人間とは何か、私とは何かという問いの蓄積が具現化したもの。
彫刻は哲学的問いのある一つの曖昧な具体例であり、その時間的蓄積なのだと改めて気付かされる。
この人物像たちが舟越桂さんの人物像たちと対面するかたちで展示されているのも面白い。
高垣さんのデッサンも素晴らしく、それは彫刻と切り離された一つの像として存在している。
お近くの方はぜひ。
僕ももう一回行こうと思う。
展示会期変更のお知らせです。
6月7日から予定していた、沖縄のShoka: での個展の日程が、下記のように変更になりました。
2019年6月28日(金)ー 7月7日(日)
既に予定をされていた方には、大変申し訳ございません。
より充実した展示になるよう制作に励みたいと思います。
どうぞ宜しくお願い致します。
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中国の古都・西安での展示会が始まった。
何から書けばいいのか分からない。
大陸の広大さと出会った人々の器の大きさに感動するとともに
日本の小ささ、つまりは自分の器の小ささを省みることになった。
小さな島国の国民性と言ってしまえばそれまでになってしまうのだが
日々の見えない何かにいつのまにか流されて
見える範囲がどんどんと狭くなってしまうことに対して危機感を覚えた。
それは自分自身の制作においても、人としての在り方においても。
視座を高く保ち続けていかなくてはと思う。
今回web・snsでの発信が遅れてしまってすみません。
僕なりに考えがあって今のタイミングでの発信としました。
具体的には転売あるいはコピー製造への対策と
作品の純粋な伝わり方についての個人的な考えからです。
実際に、在廊している間にいくつかの作品は顔の見えるかたちで
想いある人の元にお渡しすることができました。
拂石軒というギャラリーが丁寧に今まで積み重ねてきた想いと
キュレーターの楊さんが様々な配慮のもと準備してきてくれたこと。
ハタノワタルさんの素晴らしい作品とともに唯一無二の空間が実現したこと。
今回のために悩みながら生み出した作品。
それらが小さな労力で横から奪われることなく
思いのある人の元へ直接届けられたことを嬉しく思います。
作品の伝わり方について何が純粋で何が在るべき形かはわかりませんが
寡作の作家として、どのように伝えていくかは模索しなければいけません。
展示空間はなかなか日本では実現が難しいくらい
素晴らしいものになりました。
この場所で展示ができて本当によかったです。
またこのような機会があることを願って日々制作をしていきたいです。
感謝を込めて。
2019.5.11〜2019.5.18
拂石軒
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2019年展覧会予定
二人展:5月11日〜5月19日 西安(中国)
個 展:6月7日〜6月16日 Shoka:(沖縄)
*変更になりました → 6月28日〜7月7日
二人展:9月7日〜9月22日 ギャラリーnoir(静岡)
個 展:11月中旬〜11月下旬 空とたね(香川)
久しぶりにカメラを持って散歩に出た。
春の温かい陽射しと
冬の名残を抱えた冷たい風が
融け合わずに同居している。
幅も深さも頼りなく流れる川の脇を歩くと
生命力を爆発させた菜の花が風に揺れている。
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
山村暮鳥の詩を思い出しながら麦笛の音を探したけれど
聴こえてきたのはかすかなるうしのこえ。
午睡の字のお手本のように昼寝をする牛。
春眠はとくに気持ちがいいのだろう。
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしゃべり
ヒバリも見つけられなかったけれどツグミの姿を写すことができた。
調べてみるとツグミは冬鳥で日本で越冬した後はシベリアへ向かうらしい。
この鳥もきっと旅支度を整えてこれからの長旅を想っているのだろう。
そう思うとなんだか凛々しく見えた。
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
昼の白い月は雲の向こうに隠れていた。
かわりに風に揺れる白い花をじっと見ていた。
しろいはながゆれる
しろいはながゆれる
しろいはながゆれる
しろいはながゆれる
『よつあし』
人類が誕生する遥か昔、大地が氷河に覆われていた頃。
鯨に四つの足が生えたような巨躯を持ち、
この獣は後の時代のマンモス、
名古屋で開催中のよつあし展の初日、この展示の参加作家3人が集まり
それぞれが持ち寄った素材でその場でよつあしを作るというライブ制作があった。
よつあしというのは名前の通り四つの足を持つ生き物で
版画家の富田惠子さんが自身のモチーフとして
特定の動物の固有名より限定的でない呼び方として呼んでいる名前である。
上に書いた物語は僕の創作物で、全て架空のおはなし。
ライブ制作で作ったよつあしに勝手につけた神話である。
この即興で何かを作る、というライブ制作が僕にとってとても新鮮だった。
普段、木を彫るという作業の中で体験する時間とは違う、まったく別の脳の筋肉を使う体験だった。
まず様々な素材がテーブルの上に置かれ、素材の海に放り出された状態からスタート。
麻布、針金、流木、厚紙、鹿の角、牛革、藁半紙・・・
どれも風化したテクスチャーを持った眼に楽しい品々で、
何もかもを掴もうとすると溺れそうになるので、一つの素材を手に持ち、何になるのか考え始める。
僕はここでかなりの苦戦を強いられた。
いつも使っているものづくりの筋肉は持久走を走るためのものだ。
彫刻を一体彫りあげるのには長い時間をかけて形を作っていかなければならない。
頭の中に完成形が見えていたとしても、目の前の木は瞬時にその形になることはない。
一彫り一彫り、粘り強く食らいついて、緩やかに変わる景色を見ながら自問自答を繰り返し、いつかのゴールを目指していく。
一方このライブ制作は短距離走、あるいはジャンプ力を必要とする競技なのだ。
素材の軽さを活かしていかに跳躍できるか。
湧いてきたアイデアの力をいかにスムーズに手に伝えられるか。
これは手の器用さよりも、ものづくり脳の柔軟性と適応能力が試される。
参加作家の一人、陶芸家の石原稔久さんは柔軟で瞬発力のある筋肉の持ち主だった。
次から次へと素材の海を泳ぎまわり、どんどん作品を生み出していく。
しかもそのどれも同じパターンではなくバリエーションも豊富。
朝から夕方までずっと手を動かし続けて、疲労感もなく風のように軽やかに去っていった。
僕が柔軟体操をしている間に。
一年程前からクロッキーと粘土を始めた。
どちらも限定された時間の中でいかにイメージの芯を捉えられるか、という鍛練である。
クロッキーは2分、5分、10分という短い時間でモデルさんを描写する。
全ては描けない。
では何を描くか。
一本の線で、空間を。動きを描く。
目で見えている情報を脳に伝達し手に移し紙に写す。
見えているもの全てを描こうとすれば渋滞が起こる。
瞬時に濃縮して濃縮して軽やかで重さのある線にまで絞ってやることが理想だけれど
これがとても難しくて渋滞ばかり起こして時間切れとなる。
粘土も同じように制約があることが楽しい。
ゆっくりしていると固まってしまうので最初のイメージに素直に従わなければならない。
何を捉えようとしていたのか。
立ち止まってこねくり回し始めるとダメになってしまう。
正確さより的確さ。
こちらもとても難しいけれど木にはない楽しさがある。
とは言えやはり僕の還る場所は木なのだけれど。
牛は四つの胃袋を持ち、食べた物を消化するために反芻する。
一度噛み砕いたものをもう一度噛み直して身体に吸収しようとする。
繰り返し繰り返し、時間をかけて噛み続けるしかない。
牛歩の歩みであっても。
いつか知らないうちに筋肉がついているように。
持久走も短距離走も走れる柔軟な筋肉を。
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よつあし展
日時:2018.12.8(土)〜12.24(月) 11:00〜19:00
場所:sahan 愛知県名古屋市千種区猫洞通3-21 KRAビル1F
在廊:8(土)
陶芸家・石原稔久さん、銅版画家・富田惠子さんとの三人展です。
「よつあし」をテーマに動物などを展示します。
石原さんと富田さんの作品にはそれぞれプリミティブな強さがあり
現代的な親和性を持ちながら洞窟壁画を描いていた時代の記憶を感じさせます。
そんなお二人とどのような共鳴を起こせるのか。
どうぞご覧ください。
クロヌマタカトシの木彫
日時:2018.10.20(土)〜10.28(日) 11:00〜18:00 休み:水曜
場所:うつわ菜の花 神奈川県小田原市南町1-3-12
在廊:20(土)・28(日)
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工芸、語りかける けんちく展
日時:2018.8.22(水)〜10.15(月)10:00〜18:00 火曜定休
場所:SFT GALLERY 東京都港区六本木7-22-2 国立新美術館B1
出展作家:村上躍(陶) ハタノワタル(和紙) 矢尾板克則(陶) クロヌマタカトシ(木彫)
キュレーション:祥見知生(うつわ祥見)
六本木の国立新美術館SFTギャラリーにて行われる
建築をテーマにした企画展へ参加致します。
僕の中で建築というのは学生の頃からの一つの大きなテーマで
それは今も変わらずに在り続けています。
今展への想いは一つ前の記事に書いていますので
ご覧いただければ幸いです。
※今展では動物・人物などの作品は出展しません
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草原の上に佇む古い礼拝堂は
多くの魂をその石に刻んでいる。
葡萄畑の中の崩れかけの農小屋は
収穫を歓ぶ農夫の姿を何度も見てきた。
夜の海に立つ孤独な灯台は
誰かの道標となる光を灯し続けている。
人間の営みの中から自然と生まれ、役目を与えられたこれらの建築物は
人間の生活と自然環境のあいだに存在し、寡黙ながら何かを語りかけてくるかのようだ。
自らの役割をよくわきまえ、人間によく奉仕し、よく働き
それでいて媚びること無く、自然の威厳も忘れない。
積み上げられた石の一つ一つは、石工が山から切り出す遥か昔から雨風の音を聞いてきた。
その記憶は人間の手によって建築物へと姿を変えてもなお消えることはなく
やがて役目を終えればまた静かな場所へ還ることもすでに知っているかのようだ。
僕がこれらの建築物の前に立ち、その姿をじっと静観するとき
目には見えない膨大な時間がゆっくりと動き出し
石の表面から染み出してくるのを感じることがある。
その染み出た時間は僕の内側を潤し
印画紙に写真が写し出される時のように遠い記憶をぼんやりと浮かび上がらせる。
この感覚を取り出してどうにか形にできないだろうか、と思う。
石と同じように、雨風の記憶を重ねてきた樹木の力を借りながら
出来ることならその気配だけでも作品に現すことができればと願い、木を彫っている。
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クロヌマタカトシ展
日時:2018.7.21(土)〜7.30(月) 12:00〜18:00 火曜休み
場所:うつわ祥見KAMAKURA 神奈川県鎌倉市小町1-6-13 コトブキハウス2F
在廊:21(土)
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