solo exhibition @ ギャラリーらふと(千葉)----- 2020.9.12-13-14
石に刻む

 

看板の制作を頼まれた。

新しくオープンするギャラリーのために。

 

単線の鉄道に揺られ、水平線を窓の向こうに眺めながら駅に着いた。

遮るもののない改札を通り抜けて、新緑の桜並木を歩く。

静かだった。

雑音がしない。

今空気を振るわせているのは僕の呼吸音と葉擦れくらいだろう。

桜の木の脈打ちが僕の肺に響いてくる。

 

気がつけば目的地に着いていた。

落ち着いたウォームグレーの一軒家。

以前にもここに来たことがある。

そんな錯覚をおこすような郷愁漂う佇まいの家だった。

 

新しいものであるはずのものに懐かしさを感じるのは何故だろうか。

 

これは彫刻を作っている時の問いの一つでもある。

剥がれたペンキや錆びた鉄、風化した木肌などのテクスチャを

表面だけなぞってみたところでノスタルジーにはならない。

それは時間の被膜を人工的に作り、貼り付けているだけで

中身に時間が存在していない。

人が郷愁を感じるのはその人の記憶と中身の時間が結びつくからではないだろうか。

 

郷愁を感じる彫刻の中には時間が存在していて

対峙した人間の無意識の記憶と結合して見えないものを感じさせる。

それは時に遠い生命の記憶まで手繰り寄せて懐かしいと感じさせる。

だから懐かしさは自分が体験していないことでも感じることが出来る。

 

そう解釈してみれば、新しいもの、新しい場所に懐かしさを感じることは

そこに時間が存在していれば自然と成り立つのだろう。

 

きっとこの新しいギャラリーには時間が存在していたのだ。

 

 

サイン大02.jpg

 

石板にギャラリーの名前を刻んだ。

木ではなく、石がいいと思った。

トルコ産のトラバーチンという石を選んだ。

時間を感じたからだ。

 

石を彫るのは初めてだった。

石は木より冷たく、より一層静かだった。

固く、重く、柔らかい。

 

言葉が誕生し、文字が発明させて

古代メソポタミア、古代エジプトの頃から

人は大切なことを石碑や粘土板に刻んできた。

その歴史を思いながら鑿をすすめた。

 

ある方に教えていただいた

古代ローマ時代から用いられたラテン語の諺がある。

 

verba volant, scripta manen

言葉は飛び去るが、書かれた文字はとどまる

 

この文字が永くこの場所にとどまってくれますように。

願いを込めて、石に刻んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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