solo exhibition @ Style-Hug Gallery [ 東京 ] --- 2017.12.16-12.21
水脈

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薄灰色の空から降る雨の日に始まりを迎えた白い時間は

薄灰色の空から降る雨の日に終わりを迎えた。

幕を閉じる少し前に雨が止み、蕾から花開いた桜の白さがぼんやりと浮かび上がっていた。

199時間の間じっと動かずにそこに佇んでいた彫像たちの周りで

人々の様々な想いと窓からの光だけが移ろいでいるようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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百年前の絵画から新鮮な光が溢れている

二万年前の壁画に生命の灯が燃えている

 

そこに宿る時間は一体何だろうか

 

 

 

 

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木は変わらずにいつだって新しい鏡を用意して

僕が僕で在る以前の僕を映し出してくれる

 

僕は余計なものを身に纏わずに

そこに立つことが出来るだろうか

 

 

 

 

 

 

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昨年の冬の旅の風景は僕の中に確かに蓄積されていた。

それに気がついたのはこの展示が終わった頃だった。

 

木は鏡のようだ。

木をじっと見つめることはそこに映し出される自分を見つめることになる。

僕はなぜ僕で、他人ではなく、そして自分とは何なのかという問いは

どうやら自分の中を掘っていっても同じところをぐるぐると回るばかりで

確かな答えが見つからないらしい。

けれど木を鏡にしてそこに映し出された自分を見ることで

僕の認識している外側の僕を発見することができる。

僕はこう在りたいと思って作り上げている僕が今存在している僕で

それ以前の作られる前の僕が木という圧倒的大自然を前にして立ち現れてくる。

 

というように理解してみると

問題は僕がどれだけ何も作らずに木の前に立てるかということになる。

自分が水のようになって木の中に入れるか、ということになる。

何が滲み出てきても否定せず、恥も忘れて、流れる水になれるか。

清も濁も合わせて飲み込んで、ただただじっと立ち現れてくるものを待てるか。

 

それができればきっと僕は枝先の雨になって

湖にも海にも流れていける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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自分とは何か。

わからない。

わからないから木を彫っている。

わからないものをわからないままに掘り出して

そこに置いてみると何かが立ち現れてくる。

 

何が本当か。

わからない。

けれど本当でないもの、違和のあるものは何となくわかる。

それを削り落としていくことで本当のものだけが残ったらいい。

 

 

 

 

 

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白い時間は僕の中にある個人的な無意識の時間だけれど

それを一緒に見ようとしてくれる人がいることが本当に有難い。

それを自分のこととして見てくれる人がいることが本当に有難い。

 

この時間の蓄積を一度全て忘れて、地中に染み込ませて

木の中を通って再び薄灰色の空に浮かび上がってくるのをじっと待っていたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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