solo exhibition @ Style-Hug Gallery [ 東京 ] --- 2017.12.16-12.21
展示のおしらせ

 

「 気 配 」

 

日時:2017.12.16(土)〜12.21(木) 11:00〜18:00(最終日17:00)

場所:Style-Hug Gallery 東京都渋谷区千駄ヶ谷3-59-8 原宿第2コーポ208

在廊:16(土)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

exhibition - -
気配 鵺

 

室内に静かに響くグレゴリオ聖歌。

修道士の無垢な祈りの声は空気中の不純物を鎮静し

僅かに入り込む光の屈折を助けているかのようだ。

 

溶岩に染み込んだ濃縮された無花果の香りは

記憶を呼び起こす装置となり

あの日あの場所へと人々を誘う。

 

何処かへ向かって真っ直ぐと伸びる道。

その両脇に屹立する人物像と動物像。

自己の存在の不確かさを抱えた彼らの

見つめる先に差し出された、手。

 

音も光も香りも溶け出し

私という存在もまたこの室内に溶けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不在を作っているのかもしれない。

展示期間中にある方との会話からふとそう思った。

気配というものを追いかけていくと

そこに在るけれど目に見えないものを意識しながら

目の前では形あるものを作っていくことの矛盾に常に晒される。

 

僕が工房で使っている椅子は

昔おじいちゃんが座っていた椅子で

今もその気配が残っているがおじいちゃんは不在だ。

 

在るということの不思議は記憶と結びついて

認知されるのかもしれない。

 

僕の中で彫刻を作るということは

在るということを作ることだと思っている。

それは強く存在感を放つものへと向かう方向と

じんわりと染み込んだものが溶けていく方向の両極があるように思う。

そしてどちらもまた形から派生するものでありながら

形のないものを目指している。

それを僕は気配と呼んでいる。

 

 

 

 

今回の制作では何度も手が止まってしまった。

ただ形を作ることはできるけれど、その先が見えなかった。

イメージや動機が薄く、なかなか辿り着くところまでいかない。

苦しい時間が続いた。

 

展示当日は恐る恐るギャラリーの扉を開けた。

そこに置いてあったDM作品の手は美しい光に包まれて

この空間に祝福されていた。

作品は空間と一体となって新たな気配を纏うことを教わった。

 

今回の展示空間は僕の中で忘れられないものとなった。

それは写真では伝わらないのでここには載せない。

この空間体験がこれからの僕の中の一つの基準になっていくと思う。

 

今回の展示会に遠方から、地元からお越しいただいた皆様に

深く感謝申し上げます。

ありがとうございました。

そして一緒にこの空間を作り上げていただいた末藤さんにも

深く感謝申し上げます。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

exhibition - -
気配

 

10月14日から岡山のカフェドグラス921ギャラリーにて展示会が始まった。

タイトルとしたのは僕がずっと追い続けている“気配”と呼ばれるもの。

それは形もなく目に見えるものではない。

“佇まい”とも“雰囲気”とも何か違う。

何が違うのだろうか。

 

 

 

 

そこに、在る。

そこに、居る。

もしくは、在った。居た。

 

存在という不確かなものを形容するのは難しいけれども

“雰囲気”や“佇まい”よりも、もっと生々しく息を吐いているもの。

それは光と闇を抱きかかえて、そこにじっとしているもの。

生温かいもの。

 

 

 

 

 

画家ヴィルヘルム・ハマスホイの絵を見ると僕はこの感覚を共有できる。

人の居る室内にも人のいない室内にも、確かに気配を感じるのである。

彼の描く風景にも船にも家にもその気配があって

窓から入り込む光にも、それを包む大きな闇にもその気配が宿っている。

 

実際にオードロップゴー美術館で観た彼の絵は驚くほど暗い絵だった。

最初は戸惑うのだが、じっと絵の前に立ち、しばらく眺めていると

暗闇の中からぼんやりと光を放つものが現れる。

目が暗闇に慣れてきてだんだんと見えるようになるように

じっとそこに在るものを凝視すると見えてくるものがある。

 

 

 

 

展示をぜひ観ていただきたい。

今僕にできることはこのギャラリーに置いてきた。

これはどうしても写真や言葉では限界があるものです。

そして自分一人でも、ここまでの表現には到らなかった。

921ギャラリーの店主と打ち合わせを重ね、想いを共有し、二人で作り上げた空間です。

ぜひ岡山まで足を運んでいただけたら幸いです。

 

 

 

 

クロヌマタカトシの彫刻   “気配”

 

日時:2017.10.14(土)〜10.22(日) 10:00〜18:00 (最終日〜16:00)水曜休み
場所:CAFE DU GRACE  岡山赤磐市下市92-1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

exhibition - -
展示のおしらせ

 

クロヌマタカトシの彫刻   “気配”

 

日時:2017.10.14(土)〜10.22(日) 10:00〜18:00 (最終日〜16:00)水曜休み
場所:CAFE DU GRACE  岡山赤磐市下市92-1

在廊:14(土)

 

 

 

工房に響き渡るグレゴリオ聖歌。

無力のちからは確かな痕跡によって、

静かに“気配”を纏う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

exhibition - -
御礼

 

京都ミナペルホネンガッレリアにて開催しました展示会が終幕いたしました。

暑い中多くの方々にお運びいただきましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生きるものすべて

見えないけれど確かに流れている

 

生命の奥、遠い記憶

 

 

水脈というテーマは潜在風景、浮遊、環、白い時間と続いてきた

僕の今までの展示テーマから派生したもの。

 

その背景には「生命の循環」「集合的無意識」という僕が追いかけてきた2つの異なるテーマがあり

今回その2つが混じり合い一つになるような展示を目指した。

それは一つ一つの作品にも込めているものではあるが

属性の異なるものを並べて展示全体として表現できれば尚良いと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

exhibition - -
展示のおしらせ

 

クロヌマタカトシ木彫展 『水脈』

 

日時:2017.7.21(金)〜8.02(水)12:00〜19:00 木曜休み

場所:minä perhonen galleria 京都府京都市左京区河原町通り四条下ル市之町251-2 3F

在廊:21(金)・22(土)

 

 

 

生きるものすべて

見えないけれど確かに流れている

生命の奥 

遠い記憶

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

exhibition - -
水脈

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薄灰色の空から降る雨の日に始まりを迎えた白い時間は

薄灰色の空から降る雨の日に終わりを迎えた。

幕を閉じる少し前に雨が止み、蕾から花開いた桜の白さがぼんやりと浮かび上がっていた。

199時間の間じっと動かずにそこに佇んでいた彫像たちの周りで

人々の様々な想いと窓からの光だけが移ろいでいるようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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百年前の絵画から新鮮な光が溢れている

二万年前の壁画に生命の灯が燃えている

 

そこに宿る時間は一体何だろうか

 

 

 

 

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木は変わらずにいつだって新しい鏡を用意して

僕が僕で在る以前の僕を映し出してくれる

 

僕は余計なものを身に纏わずに

そこに立つことが出来るだろうか

 

 

 

 

 

 

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昨年の冬の旅の風景は僕の中に確かに蓄積されていた。

それに気がついたのはこの展示が終わった頃だった。

 

木は鏡のようだ。

木をじっと見つめることはそこに映し出される自分を見つめることになる。

僕はなぜ僕で、他人ではなく、そして自分とは何なのかという問いは

どうやら自分の中を掘っていっても同じところをぐるぐると回るばかりで

確かな答えが見つからないらしい。

けれど木を鏡にしてそこに映し出された自分を見ることで

僕の認識している外側の僕を発見することができる。

僕はこう在りたいと思って作り上げている僕が今存在している僕で

それ以前の作られる前の僕が木という圧倒的大自然を前にして立ち現れてくる。

 

というように理解してみると

問題は僕がどれだけ何も作らずに木の前に立てるかということになる。

自分が水のようになって木の中に入れるか、ということになる。

何が滲み出てきても否定せず、恥も忘れて、流れる水になれるか。

清も濁も合わせて飲み込んで、ただただじっと立ち現れてくるものを待てるか。

 

それができればきっと僕は枝先の雨になって

湖にも海にも流れていける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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自分とは何か。

わからない。

わからないから木を彫っている。

わからないものをわからないままに掘り出して

そこに置いてみると何かが立ち現れてくる。

 

何が本当か。

わからない。

けれど本当でないもの、違和のあるものは何となくわかる。

それを削り落としていくことで本当のものだけが残ったらいい。

 

 

 

 

 

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白い時間は僕の中にある個人的な無意識の時間だけれど

それを一緒に見ようとしてくれる人がいることが本当に有難い。

それを自分のこととして見てくれる人がいることが本当に有難い。

 

この時間の蓄積を一度全て忘れて、地中に染み込ませて

木の中を通って再び薄灰色の空に浮かび上がってくるのをじっと待っていたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

exhibition - -
展示のおしらせ

 

白い時間/クロヌマタカトシ木彫展

 

日時:2017.4.1(土)2(日)3(月)8(土)9(日) 11:00〜18:00 
場所:galleryらふと  千葉県市川市鬼高1-1-1 ニッケ鎮守の杜

休み:4.4(火)〜7(金)
在廊:全日

 

 

 

百年前の絵画から新鮮な光が溢れている
二万年前の壁画に生命の灯が燃えている

 

そこに宿る時間は一体何だろうか

 

今、
僕は目の前の木をじっと見つめる
若木、老木、倒木、流木
木は変わらずにいつだって新しい鏡を用意して
僕が僕で在る以前の僕を映し出してくれる

 

さて、僕は余計なものを身に纏わずに
そこに立つことが出来るだろうか

 

今日も僕は木を彫る

 

takatoshi kuronuma

 

 

 

 

一昨年の桜の頃
白い時間と名付けた展覧会をこの場でひらいた
女性や老人、家や小屋の木彫
はなびら零れる時間の中を、ただ静かに像が在った

 

そのひと月後、パリで個展を開いたひとは
今度は生々しい流木の姿をいただき
とりけものを彫り出していた

 

極から極を揺れるように
その制作の軌道は確かで美しい
揺れながら、彫りながら
澄ませているのは心だろうか

 

ふたたび桜のひかりの中で
白い時間が立ちあがる

 

sanae inagaki

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

exhibition - -
10th

 

岡山にあるCAFE DU GRACEさんの10周年展に流木作品を2点出品しています。

お近くの方々、どうぞご覧下さい。

 

CAFE DU GRACEさんでは来年10月に個展をさせていただく予定です。

よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

exhibition - -
展示のおしらせ

 

個展 「 環 」

 

日時:2016.11.18(金)〜27(日) 11:00〜18:00

場所:Shoka: 沖縄県沖縄市比屋根6-13-6

在廊:18(金)

 

 

 

洞窟に動物の絵を描いた古代人は、自分と自然との間に何を見ていたのだろう。

人間も動物も山水も、ひとつながりだった世界。

死と誕生が一つに結びつき、生命が循環する世界で

人間も自然の環の中の一部分だった。

 

現代に生きる僕はこの環の外で生活をしている。

きれいな部分にだけ光が当てられ、死が隠された世界で。

 

僕は木彫を通じて内側から環の中へ入ることはできないだろうかと試みている。

木と自分が主客一体となる瞬間を求めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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