二人展
ギャラリーnoir / NOKTA
2019.9.7 - 9.22
道東へ




北の大地への憧れがいつからかずっとある。


冬は雪に深く閉ざされ、厳しい世界と対面し

動植物も人間も春の訪れをただじっと待つ。

やがて雪が溶けて、川に流れて、生命に再生の刻を告げると

植物は一斉に芽吹き、動物たちは大地を駆け回り、生命の賛歌が山塊に響き渡る。

その歌声は大きな声では決してなく、とても静かで謙虚だ。

じっと待つ冬を幾度も越えてきたものだけが持つ声。

その生命の歌声に僕は憧れているのかもしれない。












今回の旅は東北海道の限りなく野生に近い自然を巡る旅だ。

釧路湿原、阿寒湖、摩周湖、風蓮湖、春国岱。

三日間かけてこれらの場所を巡り、憧れていた風景を実際に体感してきた。

そこには生命の形容しがたい輝きと静寂な水の時間が拡がっていた。


















根室半島の付根に位置する春国岱を訪れた。

ここは人の手が入っていない原始林と湿地帯が入り混じる場所で

海水が入り込んで来るためにアカエゾマツが立枯れし

白くなった状態で乱立している。

動物が白骨化したようにも見え、この風景に寂しさを感じるのだが

同時にどこか美しさも憶える。


湿地帯から森の中へと入っていくと数年前に豪雨で倒れた木々がそのままの状態で

右にも左にも横たわっている。

根が剥き出しになり、そこにはまだ泥がついていて、恐いほどに黙ったままだ。

沈黙の中に入り込み自分たちが異物のように感じながらも歩を進めると

白い花が静かに咲いているのが目に止まる。

それがずっと輝いて見えた。

何故だろう。

きっとこの花が花壇に置いてあってもこの輝きはない。

生命の死と再生をそこに見るから輝いて見えるのだろうか。

僕たちはこの花を見て安堵し、その先へと向かった。












人工の桟橋が終わるところまで来て、湿地へと足を踏み入れると

鹿の親子の足跡を見つけた。

足跡はそこら中に付いていてまだ新しいものだ。

期待をして足跡を追っていくと開けた場所に出た。

遠くを見つめると草原に寝そべって休むエゾシカの親子を発見し

またあの輝きが胸に落ちてきた。

生命の輝き。

何も大げさなことはなく、ただ2頭の鹿が草原で休んでいるだけの風景だ。

ただそれだけのことで何故これだけ嬉しいのか。

生命がそこに存在する。

この当たり前のことを、僕は何故なのかと考えてしまう。

理由などなく、ただ存在するから、なのだろうけど

では、生命がそこに存在するというのはどういうことか?

と聞かれても答えが分からない。

生物にだけ生命があるのか。モノにも生命は宿るのか。

木は生命なのか。水は生命なのか。

生命とはなにか。












答えの分からない問いに耽っていると、新たな生命が目の前を横切った。

キタキツネだ。

口には獲物を咥えていて、それを見つからないように隠そうとしているようだ。

僕たちの存在に気がついたのか、穴を掘るのをやめて

颯爽と草むらの中へと姿を消してしまった。

生命とはなにか。

この狐はきっと知っているのだろう。

その答えを持って何処かに消えてしまった。














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水源

 

 

 

残雪の信州。

大いなる水の循環を見る。

屹立する山々に積もった雪は

ゆっくりと時間をかけて解けていく。

雪は水に変わり、地中へと染み込む。

そこから重力によってじっくりと時間をかけて平地へと移動する。

いま僕の立っているこの地に湧き出している水は

半年前にあの山々に積もっていた雪だという。

時間と重力の偉大さに心を打たれた。

 

 

 

 

 

白い雪は白い花に姿を変える。

この山葵(わさび)の花はこの地に湧き出している

自然の湧き水のみで育っているという。

山葵が育つために必要な養分と酸素は

水が地中に潜っている際に腐葉土から吸収したもの。

その湧き水のみで2年間かけて育った山葵を味わうと

山塊の凛とした澄んだ香りが身体の中に染み込んでいくようだった。

 

 

 

 

 

 

 

水草が絶えず揺れている。

タルコフスキーのソラリスを思い出す。

人間の潜在意識の中にある一部の記憶を具現化してしまう高度な知の海ソラリス。

蓋をしておきたかった自分の醜い部分をあらわにされた人間の心理を描くSF映画だ。

人間は知の海に対して何も為す術がない。

タルコフスキーの映画には必ず水が象徴的に登場するが

水という存在は多面的で流動的で大きな魅力に溢れている。

生命のはじまり。時間や重力の象徴。大いなる循環。

空から落ちてくる一粒の雨にさえ壮大なものが乗っている。

 

 

 

碌山美術館も白骨温泉もいい場所だった。

彫刻も温泉も素晴らしかった。

しかし、たまたま立ち寄った山葵田の湧き水に心奪われてしまった。

偶然はずるい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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デンマーク旅行記 鶤

 

12月11日(日)

 

朝から雨が降っていた。

しかし朝食をすませた頃には雨はあがっていた。

デンマークの雨は激しく降ることがなく、しとしとと遠慮がちに降る。

そしてしばらく待っているとすぐに止んでくれる。

地形がどこまでも水平で山がない。

その為に風がよく通り抜け、雨雲も停滞しない。

偏西風が山にぶつかってドカッと雪の降るフィンランドやスウェーデンに比べると

デンマークは山がない為にそれほど大きな雪は降らないらしい。

その平らな地形からパンケーキの国と呼ばれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

泊まった宿から歩いて15分ほどで海に出れる。

朝の散歩にはちょうどいい距離だ。

ここはベルビュービーチと呼ばれアルネ・ヤコブセンがデザインを手がけた。

おそらく夏にはネットが張られているであろうビーチバレー用のポールでさえ

この景観を作る大事な要素として作られている。

ヤコブセンはカラスまでデザインしてしまったのか。

そう思わせる程に自然物と人工物の距離が近いように感じる。

 

 

 

 

 

 

散歩の足をさらに進めて森へ向かう。

このままどこまでも続いていくような道だ。

雨上がりで濡れた落葉と土の匂いに包まれて

ただただ静かに乱立する木々の間を歩いていく。

森へ潜る。

 

 

 

 

 

 

 

枝の一本一本はどうしてそのように伸びたのだろう。

落葉の重なりは重力と風によって運ばれて

それでいて決して同じところには落ちない。

無数の雨の雫が枝先に留まっているこの瞬間に二度はなく

僕のこの瞬間のこの感情にも二度はない。

諸行無常の時の流れの中を浮遊するように

一点一点を見つめては、手放していく。

 

そうして歩いていると色々なことを忘れる。

ここが異国であることも、目的地を定めていることも。

 

 

朕兆未萌の自己、という言葉が頭をよぎる。

自分が未だ萌え出ずる以前の兆しに立て、と道元は言っている。

 

 

目的。

計画。

自分が持ってきた拘り。

 

全て手放して

目の前に現れている枝先の雨の雫に僕は成りたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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デンマーク旅行記 鶚

 

12月10日(土)

 

朝5時半に目覚める。辺りはまだ闇に包まれている。

朝食の約束は9時。地図を広げながら今日の計画を立てる。

 

7時になるがまだまだ夜が明けない。北欧の夜は長い。

8時頃にようやく明るくなってきた。マダムが朝食を9時にした意味がわかった。

 

ふと明かりを消してみる。

まだ淡い自然光の青白い光に部屋が包まれると

そこにはハマスホイが描いた室内のような光景が目の前に現れた。

僕たちは夢中でシャッターを切る。

 

不思議な時間だった。

 

 

 

朝食の時間がやってきて手作りの大きなオムレツと

パンとハムとチーズの盛り合わせをいただく。

絶品だった。

 

 

 

 

 

 

今日はルイジアナ美術館へ向かう。

宿のあるクランペンボーからルイジアナまでは列車で20分ほど。

コペンハーゲンからでも40分ほどなので行きやすい距離。

デンマークの列車の乗り継ぎは迷うことがなかった。

サインデザインが行き届いているからだろう。

 

 

 

 

 

 

列車を降りて最寄り駅からは歩いて美術館へ。

その途中の花屋でヤドリギを買う。

北欧ではクリスマスには家の玄関にヤドリギを吊るし

その下を通ると幸福になるという言い伝えもあるらしい。

 

 

 

 

 

 

 

息を飲むような美しい海岸に出た。

透明で薄灰色したブルーの空を写す水面。

波は小さく小さく寄せている。

 

静かだ。

 

 

 

時間を忘れる。

 

 

 

 

 

https://en.louisiana.dk

 

 

ルイジアナ美術館では現代アートを観た。

ジャコメッティやルイーズブルジョワなど。

作品も魅力的なのだけれど、僕には建築が印象的だった。

大きなガラス窓から周囲の自然が見渡せ、右に曲がったり左に曲がったり

ちょっとした段差を降りたりしながら作品を鑑賞していく。

目線が立体的に変わっていき、どこまでも続いていくような

回遊性のある通路をただ散歩するだけで楽しい。

 

極めつけはレストランのビュッフェがとても美味しいこと。

 

また訪れたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

ルイジアナ美術館はブックコーナーも充実している。

アート、デザイン、写真、建築など品揃え豊富。

今回手に入れたのはフィンユールの図面集。

フィンユールは家具デザイナーであり建築家なのだが

彼の描く水彩で着色された図面が好きで画集が欲しいと思っていたところだった。

 

ほくほくしながらレジに持っていく。

するとレジをしていた白髪のおばあちゃんもどうやらフィンユールのファンらしく

気さくに色々と話しかけてくれた。

全部は聞き取れなかったけれど、フィンユール邸には行ったか?と聞かれたので

明日行きますと答えると満面の笑みでそれはいいね!と喜んでくれた。

 

いい一日の最後に花をもらった気分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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デンマーク旅行記 鵺

 

Vilhelm Hammershøiを観る 01 -デイビッドコレクション-

 

弁護士デイビッドのアートコレクション。

入場は無料。

荷物とコートを地下のコインロッカーに預け階段を登る。

展示室は4階まであり、外見からは想像つかないほど中は広い。

コレクションは年代も国籍も幅広く濃厚。

なかなかハマスホイに辿り着かない。

途中途中に気になるものもありつつも時間がないので駆け足で回る。

 

 

 

ようやくハマスホイの部屋に辿り着く。

が、絵画を飾っている壁のピンク色が気になってしまいすんなり絵に入れない。

うろうろと一回りして2周目でじっくりと鑑賞。

 

遠目で見た時には画集で見ていた時と変わらないが

寄りで見ると抽象性が増し幻想的な絵になる。

具象と抽象の間にあるもの。

ドアノブは描かれなくてもよいし、目の前にあるもの見えるものを描いているのではない。

その奥に在るものを見たいと筆を動かしているように思った。

 

 

 

 

 

 

Vilhelm Hammershøiを観る 02 -ヒアシュプロング美術館-

 

煙草で財を成した実業家ヒアシュプロングのコレクション。

デイビッドからは歩いて7分ほど。

閉館時間が16時と早いので目的の絵以外は素通り。

 

 

 

ハマスホイの絵は3点だけだったが見応えのある3点だった。

なかでもおばあさんの肖像画が好み。

ここでも「間」を感じた。

 

 

 

 

 

 

 

外へ出ると辺りはもう薄暗い。

冬のデンマークは3時を過ぎると暗くなり始める。

美術館の庭でカモメとカササギが出迎えてくれたが

挨拶もそこそこに最後の美術館へ。

 

 

 

 

 

 

Vilhelm Hammershøiを観る 03 -コペンハーゲン国立美術館-

 

ヒアシュプロングとは背中合わせに建っている美術館。

国立美術館とあって館内はとても広く清潔なデザイン。

バッジのようなチケットデザインが秀逸で、館内の椅子は全てウェグナーのYチェア。

居心地がよくゆっくりと鑑賞できる。

 

 

 

 

 

 

ここでもハマスホイは一つの部屋にまとめて置かれている。

贅沢な空間だった。

 

他にもデンマークをはじめフランス、ヨーロッパのコレクションも多数展示されているが

今日はもう満腹で入りそうにないのでこの部屋だけに。

観たものが薄まらないように。

 

幸福感に包まれながら美術館を後にした。

 

 

 

 

 

 

列車に乗り郊外にあるクランペンボーへ。

今日の宿へ向かう。

 

こちらの駅はコペンハーゲンとは打って変わって人気がなく外灯も少ない。

真っ暗で何も見えないが、冷たい風に森の匂いが移っている。

15分ほど歩いて宿に到着。

温かく迎えてくれたオーナーのマダムに部屋を案内してもらう。

片言にも届かない下手な英語でなんとか明日の朝食の打ち合わせをし

この日はすぐに眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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デンマーク旅行記 鵯

 

2016年12月8日〜12月13日、冬のデンマークを旅した。

敬愛する画家Vilhelm Hammershøiを巡る旅だ。

その時のことを記憶の新しいうちに記しておきたい。

 

 

 

 

 

 

12月9日(金)

 

長時間のフライトを終え、カストルプ空港に降り立つ。

PASMOのような列車乗車カードを買うために長蛇の列に並ぶが

窓口で聞いたところそのカードは横の券売機で買えるとの一言。

券売機で英語を選んで操作すると意外と簡単に手に入った。

ものは試し。やってみた方が早い。

 

コペンハーゲン中央駅へ移動。

ロッカーに荷物を預け街へ繰り出す。

この時午後1時過ぎ。

今日はハマスホイを観ることのできる3つの美術館を目指す。

 

 

 

 

 

 

 

メインストリートを歩くも面白くなく一本脇道に入る。

すると教会と大学のある通りに出くわす。

ほっとする景色。

大学の扉の木彫装飾が秀逸だった。

 

 

 

 

 

 

 

街の中にグレーが溢れている。

白から黒へのグラデーションとそこに少し赤や黄や青が入ったものなど

グレーの世界の広さを感じる。

デンマークの人たちはきっとこのグレーの微かな違いを見極め

自分好みの色を選んでいるのだろう。

 

 

 

 

 

 

トリニタティス教会で一休み。

この装飾にはどんな意味があるのだろう。

 

静寂が心地よい。

 

 

 

 

 

 

 

 

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光の網

















2016.5 morioka







 
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水上















作り手仲間のアトリエを訪ねて群馬県みなかみ町へ。
雪渓が美しい谷川連峰の麓、春の訪れはもう少し後。
山から降りてくる空気の冷たさがどこか心地よい。

温泉とお酒を一緒に愉しみながら
作ること、続けることの意義を語り合った。

今度来る時は登山装備を整えて
谷川岳に登ってみたい。





 
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採集

先日、作家の友人と新潟に行ってきた。
越後妻有で行われているアートのトリエンナーレ「大地の芸術祭」を観るため。
とはいえ、せっかくの新潟旅行なので地酒や花火も堪能させてもらって
何がメインか分からないくらいに濃厚な3日間を過ごすことができた。
人の縁に助けられ、人の温かさを感じる旅だった。

最終日の日本海、友人と二人、浜辺で拾いものをした。
僕は今後の制作のために流木を拾う。
友人も自分の感性に合うものを拾う。
僕は木の根っこの部分、うねうねとした癖の強いものを拾う。
友人は人の手が加えられ成形され、けれど自然にそれが剥がされたものを拾う。

「もの買って来る 自分買って来る」という河井寛次郎の言葉をなぞれば
「もの拾って来る 自分拾って来る」ということだろうか。

膨大に溢れる、もの、情報の中から何かを拾う。
迷いや恐れの中から何かを選ぶ。

失敗してもいいから、自分の羅針盤を持ち続けていたい。






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ラスコー

パリのポルト・ド・ヴェルサイユ会議場で開催されていたラスコー展を観た。
実物のラスコーの洞窟は現在見学することができないので
そこから数百メートルの距離に複製画を展示する施設が作られている。
しかし、パリからそこへ行くのにも車の無い旅行者には困難な場所であり
ラスコーに興味をもっていた僕は落胆しかけたのだが
ちょうど今回の展示がパリで観られることを知って意気揚々と出かけたのである。




この展示は2016年11月から日本でも巡回を予定しているらしい。
なので展示内容にはあまり触れないことにするが
僕が一つ気になった絵があり、それがどうして描かれたのか
どのような想いでそれが描かれたのか、しばらく会場をうろうろとしながら考えていた。
そしてある一つの結論を自分なりに付けて帰国したのだが
やはり帰ってからも尾を引いていて、何か違う解釈もあるのではと
未だにラスコー人に想いを巡らせている。
人類の芸術の起源とも言われるこの洞窟壁画に想いを巡らせることは
同時に自分自身の制作の起源を発掘する作業でもあり
僕の作る動物たちもラスコーの動物たちと無意識下で繋がっていないだろうかと
期待を込めながら1万5000年前のフランスを脳内旅行しているのである。

その旅の模様はまた今度記したいと思う。







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